僕とジャグリングとの関わりを語る上でカメラは外せないのですが、それはのぞいて書くことにします。
10歳のころにコロコロコミックに掲載されていた超速スピナーという漫画の影響でハイパーヨーヨーにはまる。友達はやっていなくて家でひっそりとやっていました。ブレインとハイパーループという変わった組み合わせで練習していましたね。今思えば普通にレイダー系統を買っていればもっとうまくなっていたのでは?と思いますが、結局一人ではつならなくて、かつハイパー人見知りだったのでお店でトリック認定とかうける勇気もなくフェードアウトしました。
時は流れ、17歳。
友達が買ったスプライトにヨーヨーがついていた。
懐かしい!と言ってやりだす友達たち。小学生のころにはまわりにいなかったのにここにはいましたね。
そのままの勢いで学校帰りにおもちゃ屋さんにいってパッケージがくたびれたハイパードラゴンを購入。
youtubeが始まったころでヨーヨーの大会の動画を検索しまくってノイズだらけの動画をコマ送りにして技を解析したりしていました。
高校でヨーヨーで遊んでいたら先生に怒られたので、みんなで合法的に学校で遊ぶために同好会を作りました。
この時高3。
今でもこの同好会は残っていて名前もちゃんとついたりしているようです。何がきっかけで後輩たちに影響を与えることになるかわかったものじゃないですね。
無事(?)一浪して関東の大学に入学。
できたばかりのジャグリングサークルに入部しました。この時はディアボロとコンタクトジャグリングがやりたくて入部しましたね。
ただ、困ったことに同期が一人もいなくて先輩たちとずっと一緒に(といってもほぼ部長の一人のみ)と練習していました。
自己紹介でも書きましたがJJF(Japan Juggling Festival)に行ったり、シルクドソレイユを見たりしてどっぷりジャグリングにつかってしまいます。
大体のジャグリング道具は持っていて今でも部屋を占有しています。
おかげさまでなんやかんやあってJJF championshipにも出させてもらいました(チーム部門、最下位💩)。
その後も学生大会とかディアボロの大会に出たりしていましたが、ここで大学中退💩
23歳、フリーター。
このころから、先輩の影響もあり、ジャグリング界で撮影をする人みたいになっていきます。
そのあたりのつながりでAAPAというパフォーマンス団体と一緒にジャグリングをすることが多くなり、いろいろな公演に出させてもらいました。その上でできたのがfocusという団体ですね。実は今でもたま~~~に活動してます。
ほかにも、ながめくらしつ、空転軌道、ピントクルなど名だたるジャグリング団体とかかわらせてもらって幸せでした。
他には前に書いたAokiくんがやっていたPONTEというジャグリング雑誌と関わりがあったりしました。
YAMAHA XSR155とこれまでのバイク旅について27歳、正社員になる。
その後はほぼ、活動はとまってしまいます。
Room Kidsの主宰となんやかんやあって仲良くなって最近ではこちらで週末活動していたりしました。
自身はfocusの活動として、ピントクルとほのぼのーのという団体で出演しましたが、5年間でこの二本のみです。
次は10年後だね
水族館巡りをするわけですが、水族館の前でバイクと一緒に5ボールを投げる写真をとろうと思ってます。場所によってはできないでしょうが、だめだったらバイクは一緒でなくてもボール持ってる写真撮ろうかなと思います。
PM jugglingというとても素敵なジャグリング道具メーカーさんが前まで作っていた「旅するビーンバッグ」というものがあったのを思い出して、お願いしたら快く承諾してくれました。ありがとうございます。
デニム生地で作られていて肌なじみがとてもよくてつい触ってしまいます。
それと一緒に小さい道具としてヨーヨーを一個持っていきます。本当はディアボロを持っていきたい気持ちはあるのですが、デカくて邪魔なので断念。
ターニングポイントというメーカーのダイヤモンドヴァージンという機種です。すごい名前だけど、ちゃんと意味があります。
ヨーヨー復帰した当時ファンだったタナカタカヤスさんという方が2005,2006年に使用していたヨーヨー、ミニモツーという機種をモチーフに再度現代によみがえらせた感じのものです。
名前は2006年に優勝した時に使用していたジャンヌダルクの曲「ダイヤモンドヴァージン」からです。
これを任天堂ストアでポイントためて購入したヨッシーの小さいバッグにいれてもっていきます。ジャストフィット。
なんだか色合いもあっていい感じ。
次回はジャグリングよりも前に始めた趣味、カメラについて話していくよ!